エジプト-イスラエル旅行記vol.3
ハトを喰う。そしてカイロへ戻りマリオットホテルへ。そしてハトを喰う。
3泊のクルーズツアーも終わり、その日の夜食はルクソールのレストランに一人出向いた。ここで、初めてエジプトワインを飲む。味は・・・、語らない方が良いこともある。温度管理は少し気にして欲しいものだと思った。
そして初めてのハト食。エジプトはハトを常食するらしい。郷に従い、我も喰らう。
翌朝、ルクソールからカイロには空路で戻った。クルーズで一緒だった日本人夫婦の一組(インド在住との事)とたまたま同じ飛行機が一緒だった事から、カイロからピラミッドのあるギザでの行動を一緒にする事になった。
空港からタクシーで直接ピラミッドを観光するため、夫婦が泊まるギザのホテルに荷物を置かせてもらえるとの申し出を頂き、有難く厄介になる事にした。
彼らのホテルはギザ、マリオットだった。というか、マリオット メナ ハウスカイロそのものだった。
(ジョジョネタである)
そういえば気がつけば、このエジプト旅行。アブ・シンベル神殿、アスワン、コム・オンボ神殿、ルクソールと、ジョジョ第3部の舞台目白押し。
ジョジョの聖地巡礼 エジプトの旅 まとめ | ジョジョベラー (xn--5ck5a4gob177z170cgian33q.com)
(というか、自分がジョジョを読み、学生時代は仙台(第4部 杜王町)に引っ越した。そして、今年GWにはイタリア(第5部)に行き、夏にエジプト(第3部)にきている。いや、もう絶対イギリスとアメリカ行くやん・・・)
ピラミッド!ラクダ!スフィンクス!
そんなジョジョ的倒錯に耽りながらも、ようやくエジプト最大の目的地であったピラミッドにお目にかかる事ができた。
コロナ中に書いた人生でやりたい事リストに、ピラミッドに登ると書いたいた。実際、一昔前はピラミッドに登るツアーがあったらしいが、度重なる死亡事故により、現在はツアーの催行自体が禁止されているらしいとのこと。残念!
クフ王のピラミッドの内部見学をした後、しつこいラクダ使いと交渉を進め、なんとか正規料金で話がまとまった。ラクダは思ったよりもデカく、立ち上がると中々のスリルを感じる。
激しく揺れるラクダに乗って、1時間ほどピラミッド周辺を散策し、スフィンクスに辿り着く。The観光地ルートではあるが、テンションはMAXであった。
その後、行動を一緒にしていた夫婦に昼飯を食べ、またもハトを喰らいつつお酒を奢ってもらった。
そして世話になった夫婦と分かれ、Uber(原付2人乗りが安かった)を駆使しながらカイロ市内を1人観光した。シタデルのモスク周辺を散策し、有名なハン・ハリーリ市場にいく予定を組む。しかしモスクを見た後、市場に行く途中、Google mapで気になる地名を見つけたため、急遽立ち寄ることにした。
「死者の街」ネーミングに厨二心が震えるぜハート!!!
Uberドライバーも目的の場所に迷いながらも到着して見ると、「死者の街」はスラムというか、完全に貧民街のようだった。僕のような観光者は全くおらず、現地の住民だけが日差しを避け、通りに座りこんで談笑している。僕は完全に異物だ。
カイロ市内でも、いつから存在しているのかわからないくらい古い石作りの建物が多く存在し、そこに現役で人が生活を営んでいる。この死者の街も、古い墓地を中心に、住居が点在しているような場所だった。物好きな東洋人が通りを歩けば、物珍しさに住人が振り返ってくる。
しばらく歩いていると、小さな女の子が僕の前に踊り出してきた。
「シットダウン!」
片言の英語で、好奇に満ちた微笑みで家族団欒の場に僕を招き入れてくる。住居の前で10人くらいが輪になって座っており、半数以上は小さな子供だった。僕を招き入れてきた女の子が一番年長だろう(8〜9歳くらい?)。好奇心に駆られて、外国人の僕に声をかけてきたようだった。
お互いにカタコトの英語で会話を試みるが、なんとか自己紹介をするだけで、会話は中々難しい。お茶も勧められたが、残念ながら初日の腹痛の記憶が蘇り、丁重にお断りした。
大家族だ。子供も多い。おじいさんも何を喋っているのかは分からないが、家族の中にちゃんとした一体感というか確保された居場所みたいなものを感じた。これが家族なんだ、と1人暮らしが長すぎる孤立した日本人的ライフスタイルの僕には、ふと感じ入るものがあった。
会話が途切れ途切れになる中、ふいに年長の女の子が「ビューティフル」と僕の顔を見て言ってきた。びっくりした僕は「何が?」と微笑んで聞き返すと「あなたのお髭、ビューティフル」と言う。確かに僕のあごひげは、1週間のエジプト旅行中ですっかり蓄えられ、アラブ人顔負けの毛量になっている。
こっちの感覚では、髭に美的感覚があるのか!と驚きつつ「君の方がビューティフルだよ」とホル・ホースさん顔負けのキザ返答をして、その場の気恥ずかしさを誤魔化した。そんな現地の人たちとの貴重な交流の後、僕はハン・ハリーリ市場に向かった。