日常お宝探検隊

30代独身理系男子が、幸福の最大化を目指して努力するけどそもそも方向性が間違ってるブログ

エジプト-イスラエル旅行記vol.2

ナイル川クルーズへ

 翌日、旅の中で唯一ツアーとして予約した「ナイル川クルーズ」に参加した。アスワン市内観光、さらに車で300km南下してアブ・シンベル神殿観光の後、クルーズ船でナイル川を北上しながらルクソールまで移動する船上3泊のパッケージ・ツアーだ。

豪華(?)クルーズ船

 ツアーには、2組の日本人夫婦も参加していた。今回の旅行でまともに日本人に会ったのは、ほとんどこれが最後だったかもしれない。

 

アスワンハイダムは世界史の教科書に載っているらしい

 1964年、エジプトの電力安定化を目的に旧ソ連のバックアップで建設された、ナイル川をせき止める巨大なダム、それがアスワンハイダムだ。高校生の時には世界史の授業でコックリしていた記憶しかない自分でも、古代エジプトではナイル川の定期的な氾濫で下流の土壌に肥沃を与えていたという事だけは何となく覚えていた。

(Fate知識かもしれない※アニメ)

ウェルカムボード(?)

 この巨大なダム建設の結果、カイロのような下流域での治水に成功したが、引き換えに土地はやはり痩せていったらしい。また、Google mapで見ても分かるダムの上流域にある巨大化な湖(ナセル湖)も、このダム建設により誕生したらしいというから驚きだ。人間の力は、地形をこんなにも変えてしまうのか。

アスワン・ハイダム

 その他も、ナセル湖の形成で一部の遺跡が沈んだり、ナイルワニが上流に来れなくなったりと、様々な影響をもたらしているらしいが、生活の中で人々は変化に慣れていったのだろう。

 この後、神殿を一通り回った後、オプションツアーに参加して小型船で少数民族の町(完全に観光地化されていた)を訪れたり、ナイル川に飛び込んだりしてみた。若干の体調不良を誤魔化しながら・・・

少数民族の住まうナディラ村(超観光地)

ナイル川にて熱さまし

 

ひたすら砂漠をバスで移動しアブ・シンベル神殿

 船の個室に泊まって翌日、早朝4時集合でスーダン国境ほど近くのアブ・シンベル神殿を目指した。道中は完全に砂漠であり、何をするでもなく300kmの道を4時間半ほど何をするでもなくひたすら南下した。

砂漠をひた走るバス

バグダッド・カフェを想起させる

 アブ・シンベル神殿はBC(紀元前)にラメラス2世というファラオによって建築が進められ、1250年頃に完成したという。ちなみに、アブ・シンベル神殿もこのダム建設の影響で沈む事が分かり、国際機関が共同で高台に移設するプロジェクトを行ったとの事。この機関が、今のユネスコになっていったとの事だ。

アブ・シンベル神殿

 でかい、そして暑い。この時には、すでに下痢と微熱が出ていて体調が思わしくなかった事もあり、灼熱の大地と自分の発熱の違いがよく分からなくなっており、関節の痛さだけが記憶に強く残っている。

 

神殿を見る。神殿を見る。神殿を見る。

 行った道は引き返さねばならない。神殿の滞在は1時間だったが、フェリーに戻るためにまた4時間半かかった。そこから遅い昼食を食べ、また神殿を見る。

コム・オンボ神殿

美しいレリーフ

 フェリーに戻って夕食を食べる。毎日毎夜、エジプト料理のバイキングで腹がパンパンになるまで詰め込んでしまう。このタイミングで、2日前に乗り込んだ豪華客船はようやくアスワンから北へ動き始めた。今まで、ずっと停泊していたのだ(これまで、停泊したフェリーに泊まっているだけで、まったくクルーズ感はなかった)

 そうして一日が終わり、ようやくクルーズらしく移動する船内で眠り、また次の日は朝5時集合。

シルバーチャリオットではないが馬車

エドフのホルス神殿

外壁のレリーフ

 遺跡と遺跡をつなぐクルーズでは、ちょっとしたセレブ体験。

デッキで飲むピニャコラーダ

船上プールで外を冷やし、ステラビールで内を冷やす

 プチセレブ気分に気持ちよくなっていると、目的地のルクソールに到着。

 そしてまた遺跡巡りへ。

カルナック神殿オベリスク

ルクソール神殿

ルクソール神殿カルナック神殿を結ぶ、スフィンクス街道

気球に乗る、また神殿を見る

 クルーズ船の夜は、パーティーベリーダンスなど、乗客を飽きさせないように随時イベントが行われていた。

 ふと、出先から部屋に戻ると、お茶目なサプライズも用意されている。

シングルベッドに紛れ込んだインテリ・ナイルワニ

 この日は、最終目的地のルクソール泊だったが、最終日もやはり早朝5時集合だった。ツアーのパッケージに、なぜか気球に乗るイベントが入っていたためだ。いい加減、毎日朝が早すぎる。

 眠い目をこすりながら気球乗り場に着き、気球が膨らむのを待つ。結局、1時間以上待ったと思う。一緒のツアーに参加したヨーロピアンはキレていた。

「クレイジー!」

立ち上がる気球

 気球に乗ったのは初めてだったか、2~3回目だったか。もはや覚えていない自分に少し戦慄しつつ、40分ほど空中遊泳を楽しみ、終着点にワイルドに着地する。原始的な着地の緊張感が、一番スリリングだった。

横並び気球

荒野に降り立つ気球

 その後、王家の谷を訪れた。歴代のファラオが埋葬された切り立った岩場だ。あの有名なツタンカーメンの墓もここにある。昔は、「墓泥棒の町」などと言われ、住人は墓の盗掘により生計を立てていたらしい。

王家の谷

 いくつものファラオの墓が洞窟として密集しており、中に入れば華美な装飾の竪穴を見ることができる。厄介なのは、人気のない洞窟の前のモギリの男で、頼んでもいないのに後ろをついて押し付け観光案内をし、終わったらチップを要求してくるのだ。時間がないと言っても聞いてくれず、駆け足でついてきて勝手に説明をしてくる。時間がないからチップを渡して立ち去ろうとしても「少な過ぎる!」と文句を言ってくる。理不尽だ。

 その後、ハトシェプスト女王葬祭殿を観光。神殿に次ぐ神殿である。

ハトシェプスト神殿入口。

アヌビスのレリーフ

神殿に次ぐ神殿に、読者諸兄に置かれても、いささか飽きておられる事は想像に難くない。言うまでもなく、僕にとっても。