エジプト-イスラエル旅行記vol.9
死海へ向かう
「死海」を英語で何というかご存じだろうか?
「DEAD SEA」そのままである。
この日も朝早くからバスステーションに向かい、ヨルダン国境となっている死海を目指す。前日に引き続き、パレスチナ自治区を通過しながら数時間のバス旅行だ。
なぜか、Google Mapで示された番号のバスに向かうと、「これは死海には行かないよ!」と追い返され、朝から1時間程待つ事になったのは地味なストレスだった。
本当にあのバスは死海に向かわなかったのだろうか?
死海ビーチがある街の途中、マサダという遺跡があるようだった。
古イスラエル時代の紀元前120年に建てられた要塞であるらしい。
バスを降り、灼熱の太陽が容赦なく照り付ける中、砂漠地帯の切り立った山の頂上にロープウェイで向かう。
死海ビーチのある街エンボケックは、完全なるリゾート都市であった。
高級ホテルに泊まる富裕層が使う有料ビーチがあるようだったが、僕はもちろん無料ビーチに足を進めた。
無料ビーチと行っても、公共の着替え場やシャワーもあり、パラソルとベンチまであった。言う事無し!と思い、死海でプカプカ浮かんだり、泳いだりと一通り楽しんだ。
ちなみに海とは言うものの、実際には内陸にあるため死海は塩湖である。
水の逃げ場がなく、周辺の岸壁から染み出した塩分が高温で水分が蒸発する事で濃縮されている。
通常の海の10倍の塩分濃度である死海は既に塩の過飽和溶液となっており、その味はしょっぱいというより、マズイ。人間の舌が何かを判断できる領域をとうに超えていた。
この塩分濃度のために魚などの水生生物が居ない事により、死海などと呼ばれてたり、浮力があがって人体が沈みずらくなっているのだ。
後で分かった事だが、死海の中で泳ぐ事は基本的に推奨されていないらしい。
不意に水を飲みこんでしまった場合に、人体のミネラルバランスが崩れ危険な事や、肺機能障害で最悪死ぬからとの事。また、析出した尖った岩塩が死海の底に多数沈んでいるため、サンダルが必須との事だ。高濃度の塩分で、もし体に傷があった場合や、目に水が入った時には、激痛を伴う事になる、と。
僕は、素足で死海に入り、泳ぎ、目に水をしっかり入れて死海体験を丸ごと済ませていたのであった。
そして、一通り遊んだ後にゆっくりベンチで過ごしていると、係員からベンチ使用料を請求されもしたのだった。トホホ。
イスラエルでワイン、そしてビール一人飲み
イスラエルワインは日本でも結構有名で、「ヤルデン」という商品が良く知られている。コロナ渦の初期、渡航制限により旅行が出来ず頭がおかしくなりかけた(もうおかしいのかもしれない)僕の不満を解消する手段として、ワイン始める事にしたのだった。
世界におけるワインの歴史は長く、世界中で作られている。
ワイン大国フランスから始まり、イタリア、スペイン、ポルトガルといった西欧から、東欧、アメリカと、ワインを通して脳内旅行をしていたのだ。
その中で、中東イスラエルワインに出会い、本場に来たからには、是非ともテイスティングにあやかりたいという下心満載なのであった。
ワインセラーでは何種類か有料でティスティングが出来ると聞いてワクワクしていたが、スタッフに尋ねたところ、年代物のサーバーが壊れていて提供できないとの事だった。。残念。
諦めきれる訳もなく、スタッフに地元のお勧めのワインバー情報を聞き出し、一人飲みに行くことに。
30歳であるという店主が2年前に個人で開いたという小さいワインバーだ。
ワインを頼みながら、何か食べ物を頼もうとすると、冷蔵庫が壊れており、食事は提供できないとの事だった。
(あらゆるものが壊れている事はイタリア旅行の時に慣れていた)
日本には輸入されないだろうパレスチナ産ワインなどを飲みながら、店主と世間話をしながらワインを愉しむ事が出来た。
バーで飲んだ後は、フラフラと新市街を物見遊山に歩く。
腹が減り、ワインバーの店主におすすめされたサンドウィッチを食べた。
いや、食べ過ぎた。
そして、ガイドブックで知った事だが、イスラエルではクラフトビールも盛んらしく、その足で近くのビールバーにも訪れた。
フレンドリーなスタッフとビールを片手に村上春樹の話や日本とイスラエルのカラオケの違いなんかを雑談しながら、エルサレム最後の夜は過ぎていった。