エジプト-イスラエル旅行記vol.7
パレスチナ自治区へ
翌朝、エルサレムからバスでパレスチナ自治区ベツレヘムに向かった。
イスラエルに来るまで、ニュースやYoutube解説をいくら見ても分からなかった「パレスチナ/イスラエル/エルサレム/ガザ地区/ヨルダン川西岸/テルアビブ」というワードも、旅の体感を通して理解と整理を進める事ができた。
パレスチナは地名であり、ここに戦後1948年の現イスラエル建国まで住んでいたのがアラブ系のパレスチナ人(パレスチーナ)なのだ。
ユダヤ人は約2000年前にローマ支配にあったパレスチナから追放され、国を持たずに各地に離散していた。しかし、歴史上、各地での度重なるユダヤ人迫害に加え、自国を持たない事による理不尽と不満はナチス-ドイツのユダヤ人絶滅政策をダメ押しに、ユダヤ人国家イスラエル建国を強行する事になった。
ユダヤ人は2000年の間、故郷を持つことを悲願としていた流浪の民族なのだ。
(ちなみにユダヤ人とは、人類学的な分類ではなく、「ユダヤ教を信仰する人々」を民族として捉えた概念であるらしい。このため原理的には、日本人である僕らも適切な手順を踏めばユダヤ人になる事は可能なのだ。非常に大変であるらしいけれども)
しかし、2000年の間にそれまで定住していたパレスチナ人にとっては、知った事ではない。当然、アラブ諸国との抜き差しならない対立を生む事になった。しかし、最強国家アメリカのバックアップを受けて組織されたイスラエル国防軍は非常に強力で、5度に渡る中東戦争で、そのほとんどの土地を手中に収めてしまった。
そのように分断されたパレスチナ人の土地の中の一つが、エルサレムからバスで30分程度の場所にあるベツレヘムだ。
(ちなみに、イスラム教を信仰するパレスチナ人からしてもパレスチナは聖地であり、彼らの首都であった場所である。いや、今も尚そうなのだ)
この辺りの歴史的背景を、世界史をまともに学んで来なかった自分としては整理出来る良い機会になった。
さっそくカモられる
ベツレヘムにバスが到着してすぐに、観光タクシードライバーによる客引きに遭遇した。通常であれば、断固拒否!っといった所だったが、まあしつこくしつこくゴリ押し営業をかけてくる。
10分程度の推し引き交渉の後、当初の提示価格の半額になった所でこのタクシードライバーに身を委ねてみる事にした。
実は確かに、ベツレヘムの観光スポットは歩いてみるには結構不便だったりしたのだ。
パレスチーナドライバーは、イスマイルと名乗った。
イスマイルのガイドの下、ベツレヘムに建築された「分離壁」を見る。
分離壁はイスラエル側へのパレスチナからのテロ対策を目的に2002年に着工された現状約700kmにも渡る長大な塀だ。今も尚、未完成であり両領土を分かち続けている。
パレスチナ人からすれば、自分の生活領域を突然、何の配慮も無く機械的に分断された事になる。イスマイルが小さい頃に着工が始まったため、彼も子供ながらにその時の事は覚えているとの事だった。
歴史や対立には両面が存在する。西洋史観で教育をうけてきた日本人の自分としては、知識の後ろ側にスポットライトを当てているような気持ちだった。
ちなみに、この分離壁やベツレヘム内にはいくつもの有名なバンクシーアートが点在している。
一通り、ベツレヘムの観光が終わった所で、イスマイルは色々な営業をかけてくる。
「あそこに、小高い山があるだろう?あそこも観光名所さ。どうよ、追加費用は・・・」
「明日死海に行くだって?今からだってタクシーでいけるさ。どうよ、追加費用は・・・」
「ヘブロンに行きたいだって?もちろん行けるさ。どうよ、追加費用は・・・」
・・・ん?ヘブロン行けるの?
パレスチナ自治区の中でも、ベツレヘムはエルサレムに近く、渡航レベル2だ。ここからさらに小一時間南下し、さらにディープにパレスチナ自治区を進めば、渡航レベル3のヘブロンにいく事ができる。
当初、バスのアクセスから時間がなく、半ば諦めていた所だが、どうやらタクシーでも行けるとの事だった。
「よし、ヘブロンに行こう!」
こうして、イスマイルの口車に乗って、このまま彼の車に乗っていく事になった。
ガッツリ追加料金を払う事になって。