エジプト-イスラエル旅行記vol.5
ドタバタとエジプト出国
目が覚めた瞬間、目が冴えるようなスピードで身支度を整える。
到着時間にはUberドライバーからのメッセージ攻撃。
「着いたけど、まだ?」
「どこに居るの?」
「着いてるよ」
ヤンデレ彼女っていうか、メリーさんか。
奇跡的に数分遅れでドライバーと合流した。
エジプトからイスラエルに渡る方法は主に2種類、陸路か空路だ。
陸路の場合、聖書で有名なシナイ半島をバスで抜け、国境越えをする事になる。
既にエジプトとイスラエルは国交正常化しているものの、アラブ周辺諸国との摩擦は今だ未解決のままだ。この国境越えは、そんな歴史の背景の中で自然と厳しいものであるらしい。また、2012年のアラブの春の際には、シナイ半島でテロにより観光客のバスが襲撃される事件が起こっており、半島全域は今だに外務省レベル3だった。
時間さえあれば陸路で国境超えを経験したい気持ちは山々だったが、今回はリスクヘッジを優先し、空路を選択した。
1時間半ほどのフライトで、あっさりイスラエルに到着した。
ただし空路を使ったとしても、イスラエル空港からの入国は一昔前は「世界で一番入国審査の厳しい空港」の名を欲しいままにしていたらしい。
ドキドキしながら入国審査の列を並んでいた所、途中で別の場所に誘導され、パスポートと空港内で発券していた滞在許可証を係員に確認される。
(イスラエルのスタンプがパスポートに押されると、周辺アラブ諸国への入国が拒否される可能性があるため、別紙で印刷された許可証を持ち歩く事になっているのだ)
そこで簡単に書類を確認されただけで、「通っていいよ」とあっさり入国できてしまった。時代は変わっているのだ。
通常であれば、空港についた際に現地通貨とSIMを調達する。
しかし、空港のSIM売場がなぜか閉まっている。
時は土曜日の昼過ぎ。
そう、ユダヤ教安息日「シェバット」に思い切りぶつかっていたのだった。
この安息日は、僕らが考える日曜日とは概念が結構違っている。
安息日は宗教上において、「働いてはいけない時」なのだ。
ユダヤ教の旧誓約書、創世記にある通り「神は混沌の中から6日で世界を創造し、7日目に休まれた」ためである。
このため、売店やカフェはおろか、電車やバスなどの公共交通機関もストップしている。
現地通過はATMのキャッシングにより調達できたが、通信環境はどうあっても手に入らないようだった。一応、事前にシェバット中でも空港からの乗合バスだけが動いている事は分かっていたので、いそいそとバスに乗り込んでイスラエル首都のエルサレムに向かった。
通信環境がなく、どこに向かっているかも分からないバスの中では、スマホがなかった頃の海外一人旅の不安を思い出させた。
安息日のエルサレム
乗合バスは、目的地を同じくする客が一定以上揃ったタイミングで出発する(おそらくは民営の)バスだ。大体、10人程度が集まった所で、無事バスはエルサレムに向けて出発した。この乗合バスは、個々の目的地のホテルまで送ってくれる意外と気が利いてるサービスだった。有難し。
乗合バスに誘われるまま新市街のホテルに到着する。すぐにチェックインはせずに、周辺(結構栄えている場所にある安宿だった)をブラついてみるも、やはりシェバットによって街はゴーストタウンのようになっていた。
安息日の気合の入り方が違うのだ。
ちなみに、ホテルも絶賛シェバット中だった。チャイムを鳴らしても従業員は出てこない。Booking.comのメッセージを見直し、エントランスの解除コードを入力して(何度か苦戦しながら)ホテルに入る。受付に人は居なかったが、リビングで寛いでいた宿泊客に声をかけると、スタッフを呼びにいってくれた。若く美しいイスラエル人女性が、昼寝起きのような顔で姿を現した。やれやれ、良かった。
「今、もしかしてシェバット中ってやつ?」と僕が聞くと、苦笑しながら「そうよ」と彼女は答えた。
乗合バスといい、シェバット中にサービスを提供してくれるフロントに感謝する以外に言葉がなかった。昼寝を中断してまでも。
シェバット中で、空港でもSIMが手に入らず、電車も動いていなかった事を話ていると、「じゃあ、どうやってここまで来たの?」と聞かれたため「シェルート(乗合バス)を使って」と答えると、彼女は得心のいったような顔で、僕にwifiパスワードを教えてくれた。
Oh my God!
(通信環境は、砂漠での冷水のように乾いた心を潤してくれた)
ただし、今はまだチェックイン時間ではないため、時間になったらまたフロントに来るようにとの事だ。