日常お宝探検隊

30代独身理系男子が、幸福の最大化を目指して努力するけどそもそも方向性が間違ってるブログ

北インド旅行記vol.3

インド鉄道事情

デリー3日目は、日中にお決まりの観光ルートを進みながら、やはり「人の森」感に圧倒されて過ごした。

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この日はいよいよ、デリーより800km東に進み、聖地バラナシを目指す予定だった。

前の日記の通り、ネットですでに寝台列車のチケットを予約していた僕は、予約時間が近づくにつれ、ある期待感が膨らみつつあった。

 

(一体、どれほど列車が遅れるものなのだろうか?)

 

言うまでもなく、日本の電車の運行時間の正確さは世界のクレイジーである。

日本以外の列車の運行時間に、日本のような正確さを求める事は、いささか見当違いと言っても過言ではない。

しかもここはインド。何分単位というケチな話ではない、数時間単位での遅延は当然の土地らしい。ここは何があろうと、受け入れるしかない場所だ。

 

とは言え、最近のインド列車事情をネットで見る限り、ちらほら定刻で発車する、なんて記事も見かけていた。SIM購入の際にも感じたグローバリゼーション、もとい近代化の波が、インド列車にも来ているのかもしれない。

 

いずれにせよ、それらの状況を加味して僕が予約した夜20:30発、朝8:30着のチケットであれば、少なくとも明るいうちにバラナシに着く事は可能であろう。

 

 

などど考えていた僕の浅はかプランを、インド鉄道事情は清々しいほどにあっさりと打ち砕いてくれるのだった。

 

発車は結局、翌朝4:30。。。 f:id:look-up_everyday:20180203100751j:plain

 

深夜特急」気分のつもりが、「早朝特急」

 インドでの鉄道初乗車となったが、車内は予想よりは快適で、予想を超えない程にはやっぱり汚ないという印象だった。

僕の取った2Aクラスの席では一区画に4人が乗車し、2段席が向かい合う形で構成されていた。乗り合わせた他の乗客は、もちろんインド人だったが、彼らは席をコンセントのある席に代わってくれたり、食事の席を譲ってくれたりと、本当に親切だった。本当に、親切だった。

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この旅の大きなイベントの一つとして考えていたインドでの鉄道乗車ではあったものの、車内での事を一言で言えば「暇」に尽きた。

何せ、なにもやる事がないのだ。

スマホがあれば暇つぶしに事欠かないと考えていたが、この時なぜか通信不能な状態となっており、車内で僕に残された暇つぶしは寝て体力を回復する事だけだった。

後になってみれば、広大なインドではその州によって通信会社が管轄する範囲が変わっており、「データローミングをON」にすれば普通に使える事が分かったが、この時は

追加料金の発生が怖く、試す事ができないでいた。

 

 

そしてこの事が、後の恐怖体験に繋がるのだった。

 

見知らぬインド人についていく

結局、8時間程遅れて出発したこの鉄道は、運行中にさらに4時間遅れ、合計で12時間程の遅延を持って、目的地バラナシに着くとの事だった。

12時間・・・。

朝8:30に到着し、丸一日観光を考えていたのに、夜20:30着・・・。

貴重な観光時間がガッツリ削られてしまった事はさておいても、駅からガンジス川近くの街まで夜タクシーを捕まえて宿を探さなければならない事は、いささか億劫だった。

何せ、スマホが使えないのだ。

タクシーをどこで捕まえるか、宿をどうするかも、口コミを当てにするわけにもいかない。

こういう時、自分は本当に現代人だなと実感するが、普段当たり前に使っているものが急に使えなくなれば、ほとんどの人間は同じような不安にさらされるように思う。

もうこれは、状況に慣れる他方法はないのだ。

 

そんな切実な覚悟を決めて、目的駅への到着を待つ僕に、一人の20代後半から30代前半と思われるインド人男性がこう話かけてきた。

「宿は決まっているのか?俺の兄貴がホテルで働いているから、紹介してやるよ。なんなら、駅まで迎えに来てもらってもいい」

そのインド人男性(ジョーイというらしい)は、自分はレストランを経営していると言って、インスタグラムで経営する店の写真を見せてきた。

 

正直言って、渡りに船な申し出だった。

しかし、僕はこの申し出を信用していいのか、全く分からなかった。

断れば、真っ暗な異国の知らない土地でどこにいるかも分からないタクシー運転手と交渉し、予約も出来ていないホテルを徒歩で探す事になる。

・・・そんな事をする事も、この申し出を断る事も、すべての判断を正常にするためには、僕はあまりにも疲れていた。

そうして僕は、このジョーイというインド人の申し出を受け、彼の兄と名乗る見知らぬインド人に身をゆだねる事になった。

 

 

バラナシの夜

12時間の遅延の後、夜のバラナシに鉄道は到着した。

ジョーイと共に街に出るとの話だったが、駅から出ると彼の兄を名乗る人物(ゴルーといった)と共に、明かな白タクに乗り込まされ、当のジョーイはイカしたロイヤルエンフィールド(インド製のクラシックバイク)に乗って姿を消した。

 

夜のバラナシの道中を一言で表すとするならば、世紀末都市と僕は言うだろう。

 真っ暗だというのに、夜の街はとんでもない騒音と共にお祭り騒ぎが起こっており、交通状況は壊滅的カオスであった。

そんな街を見知らぬインド人と共に、彼のチャーターする白タクでひた走っていく。

やがて、ある交差点で白タクから共同のオートリキシャに乗り換えると、その後徒歩で暗い路地裏の道に案内される事となった。

 

僕はこの道中、「もしこのまま襲われて身ぐるみ剥がされる事になった時、どうようにこのゴルーを殴り倒し、人混みの中に逃げ込むか」という事を一心に考えていた。

 

 

 

 

 

結果から言えば、案内されたホテルはひどくまともで、彼は普通に観光客相手に宿の斡旋をしているだけの、ただの良いインド人だった。

・・・ごめんよ、ゴルーさん。

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バラナシの朝

朝、目が覚めると、自分がインドに居る事に気が付く。

ここ数日、毎朝同じような事を感じていた。

そして自分がバラナシに着いていた事を思い出し、昨晩真っ暗な中到着したホテルの周辺を見ようと朝の散歩に出かける事にした。

何せ、まだガンジス川(ガンガー)すら見ていなかったのだ。

 

夜とは雰囲気のガラリと違う路地裏をほんの少し歩くと、すぐにガート(ガンガー沿いの階段)に抜ける事ができた。

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ガンジスの朝は、昨夜までのカオス的混乱から回復しきらない僕の心から感動を引き出すのに、およそ十分なパワーを持っていた。

 

ガンガー沿いに視界の吹き抜けたた古い石作りのガート。

埃っぽいはずなのに、なぜか冷たく新鮮に感じる朝を空気。

朝日が、ガンガーと自分の頬を照らし、その日一日の生命力が注ぎ込まれていくような感覚。

 

すべてはガンガーに還る。

 

バラナシ最初の朝は、面食らったように美しいものだった。